はじめに
日本帰国中に本屋に行くとよく平台に置かれていた東野圭吾のこの小説、どんな内容かもよくわかっていなかったが、関東の僕の実家に帰った時に親が読んでいるのを発見、滞在中に読みたいからと横取りして読んでみた。
東野圭吾ってミステリー系が多いが、今作は全然ミステリーではなかった。僕は東野圭吾にミステリーを期待していたので、「あれ、ミステリーじゃないのか」と思ったけどそれでも東野圭吾の作品は読みやすくサクサク読めた。どうして東野圭吾の作品は色々な人に読まれるのか。それは、東野圭吾が人間のことをよく観察していて、人々に「そういうことある」とか「それはそうだ」と共感される文章を書くのが非常に上手いからだと思う。そう思った今作中の描写で、印象深い点は、3つある。なお、ここからはネタバレも含むので、悪しからず。
東野圭吾の描写
今作では、クスノキに念をこめると、まるでテレパシーのようにその人が伝えたい相手が後に、クスノキにきた時に、想いを伝えられるという特殊設定が存在するのだが、このテレパシーは完璧なものではなく、余計なことまで伝えてしまうのだ。なので、ほとんどの人は、存命中はメッセージを伝えたい相手には、クスノキにメッセージがあると伝えることはしない。後ろめたいことがない人間など存在しない。クスノキを使い、誰かメッセージを伝えることは、たとえそれが自分の死後であろうと、相当勇気のいることだ。と小説の中で語られているが、それは多くの人の共感を得ることだと思う。
僕がクスノキに念をこめられる立場にいるとしたら、念を残すだろうか。僕にはとてもじゃないがそんな勇気はない。その念を受け取る相手が誰であれ、あいつはしょうもない男だったんだと軽蔑されてしまう気がするくらい、褒められた人生を生きれていないと思う。人間ってそういうもんで、多分僕以外の人間もそうであると楽観的に構えておくことにしておこう。
また、東野圭吾の小説は、男キャラクターに男性の共感を呼ぶ心理描写を吹き込むことも多いように思う。今作でも、本来は不謹慎というか、そういう浮ついた気分を持ってはいけない場面で、若い女性とのやり取りに浮つく主人公を描いているし、こういった描写は東野圭吾の他の作品でも多くみられる。あまりイケテナイ男子代表の僕としては、そういうところにとても共感するし、きっと世の中の男性の多くがそうなんだろう、いやそうであって欲しいと思っている。笑
最後に、主人公が、自分の母とのラーメンを食べた思い出を語るシーンは僕個人的にはかなり好きだ。人にはそれぞれの幸せがある、そうだよねって自分の人生も悪くないって思えるし、とても暖かい気持ちになる描写だった。
謎解き要素も多少ある。
事件は起きなかったが、謎解き要素はあるし、最後にどんでん返しまではいかないまでも、小さなサプライズ的演出もあった。読者は、主人公と共に最初は明かされないクスノキの秘密を徐々に解き明かしていくスタイルである。クスノキや祈念の神秘的な描写や、主人公の恋、千舟の謎行動が同時進行で進むので、次が気になり、サクサク読める演出になっている。
クスノキがあったらどういうことが起こる?
少しは思考実験もしたい。クスノキが実際にあったらどういうことが起こりうるのだろうか。ありうる事象の大半は本小説の中で語られていると思うが、他にどのようなことに使われるだろうか。こんなこと述べること自体、不敬なのかもしれないが、まず思いついたのは天皇家の継承だ。クスノキの祈念の条件として、祈念する者と受念する者が、血縁者でなくてはならない、そしてさらに都合の良いことに、受念者を名指し指定できるというチート機能もあるので、男系男子が大々受け継いでいる天皇家の継承には相応しいし、実際そういうクスノキの力みたいなものがあったら、それを使って継承する。そして一般の方々にもクスノキの力を少し公開して、力を信じてもらえれば、天皇家の権威がさらに格段に上がると思った。そう、小説内では、クスノキの力はそんなに多くの人に認知されず、ひっそりと存在しているだけだが、もしこれが大勢の人に認知ーつまりその力が信じられ、その上で特定の人の権威・権力を継承するために使われるとしたら、良くも悪くもその権威、権力をとてつもなく盤石なものにするだろう。また、歴史の継承にも使えると思った。作中では、死者が作曲した未公開の音楽をその兄が受念していたが、このように、音を脳内で再生して、祈念もできるようである。であるならば、映像も可能かもしれない。歴史を紡ぐ家があって、その家の人々はまるで先史時代から生きていたかのように、その時の人々の様子を語る。そんなことも可能かもと思った。いずれにしても、クスノキが本当の威力を発揮するのは、それが大勢に認知されてその力が信じられている場合であり、その場合は作品中で語られた通り、よからぬ方向に使われてしまう可能性も大いにある。